スズキボートの企業化当時の思い出

 昭和42年3月〔1967年〕ボート企業化の指針を下記のように設定してスタートした。

1、絶対に沈まないこと。

2、強度が充分であること。

3、安定性がよいこと。

4、旋回性がよいこと。

5、凌波性がよいこと。

6、軽量であること。

7、走航抵抗が少ないこと。

8、量産性がよいこと。

9、品質が安定していること。

以上の指針の基で、スズキ船外機にマッチしたボートで他社にない11フイト級のフイッシャーボートとし、船型はスピードを強調するため平底に近いコンケーブタイプとして、42年4月設計を完了し、6月に試作艇を完成させた。

 浜名湖や江ノ島海岸において1ヶ月間の強行耐久テストを繰り返し実施し、更に改良を加え、7月から50艇の試験販売開始にこぎつけた。

 われわれ自動車関連の技術に携わっている者としてはボートの設計やテストは初めてのことでもあり、それだけに真剣であった。それは浮力計算、復元力テスト、落下テストなど外部のメーカーと協力し研究所の指導を得ながら手探りで進めた事が思い出される。

 このボートを(スズキボート11)と名づけてその8月までに全部売り尽くしてしまった。D55(100cc)を装着して30Km/Hものスピードがでて好評でしたが性能本位に設計したため、外観がお粗末であるとか、デザインが今一つとかの苦情もあつた。

 42年度の市場クレームを処理し、デザインアップして43年には3倍の150艇を計画して生産した。

 43年3月新聞発表につづき第7回東京ボートショウに初出品したところ、デザインおよび仕上がりの良さを買われ好評を得た、5月より発売し釣りマニアや貸舟業者などに利用され予想以上の売れ行きで一時は生産が間に合わない場面もあった。このようにして43年度の販売150艇を完売した。

 自動車などと比べて量産性が劣るので44年度は市場の要望もあり、1フイト伸ばして12フイトの(フイシヤーボート)と(ランナーバウト)を量産性の良いように改良し、傍系の新会社(ヤマハのボート設計者グループが分立しスズキ系の日工産業グループへ来て設立した会社)コマンドクラフトの協力を得て4月より量産に入った。

 BF12(フイシヤーボート)、BT12(ランナーバウト)を発売し前年の3倍にあたる450艇の販売に成功した。 今思えばこの頃がわが国のボート大衆化の先駆けであったと思う。

モーターボートの生産実績

スズキ

年度

国内向け

輸出向け

合計

前年比

生産実績

前年比

38年

1236

242

1478

 

 

 

39年

1981

209

2190

148

 

 

40年

1930

806

2736

125

 

 

41年

2869

741

3610

132

 

 

42年

4412

326

4738

131

50

 

43年

 

 

 

 

150

300

44年

 

 

 

 

450

300

                      運輸省調べ

当時の各国のプレジヤ―ボート普及状況

国別

人口/隻

乗用車/ボート

乗用車数

人口/乗用車

ボートの保有隻数

日本

2000人

220台

283万

44.2人

62,500

アメリカ

25人

10台

7885万

3.4人

10.800.000

カナダ

20人

53台

554万

5.5人

1.535.000

イギリス

220人

33台

475万

6.2人

273000

                    1958年〔昭和44年〕運輸省調べ 

1998年の各国のボート普及状況

国別

人口/隻

乗用車/ボート

乗用車数

人口/乗用車

ボートの保有隻数

日本

370人

154台

5243万

2.4人

341,000

アメリカ

16人

8.3台

13300万

2.0人

16126000

カナダ

12人

5.5台

1414万

2.2人

2558000

イギリス

71人

13.4台

2753万

2.2人

2060000

資料 ICOMIA98に基づき算出した

 

自動車はアメリカに次ぐ第2位の保有国であるが、ボートについては比較四カ国の中で飛び抜けて最下位であり、アメリカの47分の1でイギリスの6分の1の保有しかない、今後主要国並みに普及するかどうかは疑問である。

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